INTRODUCTION

実在した拷問施設『コロニア・ディグニダ』に世界が震撼

1973年チリ、軍事クーデター発生によりピノチェト政権発足。南米史上最悪の独裁政権と言われ、実に2万8千人を拷問し、約3千人を殺害したとされる。そして、その極秘拷問施設として使用されたのが<コロニア・ディグニダ>だ。少年への性的虐待の罪でドイツを追われ、南米に根を張ったナチスの残党、パウル・シェーファーが1961年に設立。ピノチェト政権との密接な関係により、勢力を拡大。経済力で周囲の住民の信頼を得る一方、秘密警察の拷問施設、武器密輸の中継基地、巨大な武器庫という裏の顔を持っていた。

世界のミューズ、エマ・ワトソンが拓いた体当たりの新境地

妖艶でありながらも決して悪に屈しない強靭なタフさをみせるヒロイン・レナを演じるのは、エマ・ワトソン。「ハリー・ポッター」シリーズへの出演で一世を風靡するも、突如俳優業を休止し、国連のフェミニズム活動の広報大使に就任するなど、女優の前にひとりの女性として存在感を放っている。本作について、エマは「愛のためにどこまでできるのか。女性は囚われる側を演じることが多ですが、この映画では女性が男性を救い出そうとする、その設定に強く惹かれました。」と語る。拷問シーンや極限状態での脱出シーンを体当たりで演じるなど、大人の女優へと脱皮したエマ・ワトソンが新境地として選択した本作は世界中から注目されている。

キャスト&スタッフ

エマ・ワトソン


1990年フランス生まれ。5歳でイギリスへ渡る。01年映画「ハリー・ポッターと賢者の石」ハーマイオニー役でデビュー。以後シリーズ全作品に出演。シリーズ完結後も着実にキャリアを積み重ね、「バレエ・シューズ」(07)「ウォールフラワー」(11)「ブリングリング」(13)のほか、「美女と野獣」「Regression」「The Circle」が公開待機中。女優業のかたわらアメリカの名門・ブラウン大学を卒業した。自己成長のため1年間の女優休業を宣言し、その間、国連が立ち上げた新しいフェミニズム活動「He For She」の広報大使として活動。男女平等とジェンダー・ステレオタイプからの脱却を訴えた国連での演説も話題になった。本作は大学卒業後初めての映画出演作となる。

ダニエル・ブリュール


1978年スペイン生まれ。国籍はドイツ。「グッバイ!レーニン」(02)の世界的ヒットで知名度を獲得。ドイツ語のほかスペイン語、英語、フランス語が堪能で、ドイツ以外の映画にも数多く出演。「ラッシュ/プライドと友情」(13)では、伝説のF1ドライバー、ニキ・ラウダ役を演じ話題に。主な出演作に「ラヴェンダーの花咲く庭で」(04)「ボーン・アルティメイタル」(07)「イングロリアス・バスターズ」(09)「天使が消えた街」(14)「黄金のアディーレ名画の帰還」(15)「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」(16)など。

ミカエル・ニクヴィスト


1960年生まれ。スウェーデン出身。1987年デビュー。「エヴァとステファンとすてきな家族」で国際的な評価を得ると、2009年には「ミレニアム」シリーズで主人公・ミカエル・ブルムクヴィストを演じ、スウェーデンで最も有名な俳優の一人に。主な出演作に「歓びを歌にのせて」(04)「ミッション:インポッシブル/ゴースト・ブロコトル」(11)「間奏曲はパリで」(13)「ジョン・ウィック」(14)など。

ヴィッキー・クリープス(ウルセル)


1983年ルクセンブルク生まれ。主な映画出演作に「ハンナ」「誰よりも狙われた男」など

ジャンヌ・ウェルナー(ドロー)


1985年スクセンブルク産まれ。本作で長編映画デビュー。

リチェンダ・ケアリー(ギゼラ)


1948年イギリス生まれ。主な映画出演作に「初恋キッパーパン」「トゥームレイダー」「孤独な嘘」「ミスアンの秘密日記」など。

【監督】フロリアン・ガレンベルガー

1972年生まれ。ミュンヘンテレビ映画大学で演出を学ぶ。
2001年卒業フィルムとなった「Quiero ser」でアカデミー賞短編映画賞を受賞した。デビュー作Shadows of time」はバイエルン映画賞新人監督作品賞を受賞。「ジョン・ラーベ」はドイツアカデミー賞で最高賞を含む4つの賞を受賞した。

ストーリー

PRODUCTION NOTE

コロニア・ディグニダとの出会い

「チリにあるその場所(コロニア・ディグニダ)のことを聞いたのは小学生の時でした。人々が逃げることもできず、囚人のよ うに暮らしていると知り、大変ショックを受けました。」と、フロリアン・ガレンベルガー監督は振り返る。歴史映画「ジョン・ラーベ〜南京のシンドラー〜(以下、「ジョン・ラーベ」)」のポスプロ中に、ガレンベルガーはかつてコロニア・ディグニダで暮らして いた、ある“コロノ”の自叙伝を読む機会があった。その数週間後、偶然にも、脚本家トルステン・ヴェンツェルがこの話の映画化の考えがあるとガレンベルガーに話したことが、本作「コロニア」が誕生するきっかけとなった。

ガレンベルガーはチリに赴き、コロニア・ディグニダについての調査を行った。「史実を学び、人々の話を聞けば聞くほど、私は、シェーファーの生み出したその小さな別世界をもっと知りたくなりました」とガレンベルガーは言う。

さらに私は、偶然そ のコミュニティの一員となってしまったものの、やがてそこから逃げだそうとした1組のカップルの話を伝えたいと思いました。

私たちは、CIA、ドイツ政府、そしてピノチェト政権の陰謀に関する史実をただ伝えるだけの映画は作りたくありませんでした。

それよりも、国家の中に在る小国ともいえるコロニア・ディグニダについて深く掘り下げて伝えたいと思ったのです。このこと 「で、私たちの描く主人公たちに強い説得力が出ました。」とプロデューサーのベンジャミン・ハーマンも続けた。

「何度かチリに赴き、多くのかつてのコロニア・ディグニダの住人達と出会ううちに信頼関係を築き、彼らの生活に関する赤裸々な告白を聞くことが出来たガレンベルガーは、それまで知ることのなかったその教団組織の本質を深く理解することとなった。「勿論、本作での主役2人は架空の人物ですが、それぞれのキャラクターには確固たる歴史的要素が反映されています。特に、パウル・シェーファーの台詞のいくつかは、実際の発言そのものを使用しています。」

キャストについて

実際に存在した事件や人々に忠実であろうとする監督の姿勢は、本作のキャストとスタッフにも影響を与えた。主役レナを 演じたエマ・ワトソンは、「この映画は、歴史的な出来事をダイナミックなスリラーとして昇華させているからこそ、人々の心に 響く作品になっているのよ」と振り返る。ガレンベルガーは、当初からダニエル役には前作「ジョン・ラーベ」にも出演したダニ エル・ブリュールを想定して脚本を執筆した。その理由は、「ブリュールは、繊細さ、まっすぐさ、そして、男らしさのすべてを兼ね備えている」からだと言う。「コロニア」チームは、強い女性のヒーローを演じられる女優を探していた。「私はそこにいるだけ 「で人を惹きつけるような明るいオーラのある女優を探していました。それがまさにエマ・ワトソンだったのです。レナという女性 「は、全てをなげうってでも、重要なことを成し遂げていきます。実際のエマも、まさにそのような女性なのです。」とガレンベルガ 「一は話した。エマ・ワトソンも「苦境にいる可哀そうな女の子を、白馬の王子様が助けに来てくれるというのはよくあるお話。でも、「コロニア」では逆で、女性であるレナが、男性を助けに行く。そこが何よりも本当に素晴らしく、魅力を感じました。そんな展開、普通の映画では見ることが出来ないもの。」と述べている。その後、エマとダニエルはロンドンが顔合わせをした際の様 「子を、「この二人で間違いなかった、最高のカップルの誕生だとすぐに思いました」とハーマンは振り返る。

しかし、3人目の主役であるパウル・シェーファー役の俳優を見つけることは非常に難しかった。「多くの俳優は、この役に抵 抗を感じていましたが、スウェーデンの俳優ミカエル・ニクヴィストが興味を示してくれました。しかし、彼は別の作品の撮影が あり、「コロニア」への参加が難しかった。そこで私たちは、撮影スケジュールを組み直し、彼に参加してもらえるようにしたん です。」とハーマンは話す。「彼が撮影に参加した日は、既に撮影が始まって3週間が経っていました。適役がいないままに撮影 することは簡単ではなかったのですが、彼がセットに現れた瞬間に、現場の空気が変わった。彼の存在感には目を見張るもの があり、更に、メイクアップアーティストのヴァルデマール・ポクロムスキーの手によって、完璧なパウル・シェーファーへと変 身してくれました。本当に素晴らしかった!ミカエルは、おそれることなく、ぞっとするほど重圧的なこの役を見事に演じ、皆が彼の演技に惹き付けられました。」とガレンベルガーは回想する。実際、「コロニア」では、パウル・シェーファーを恐ろしい男と する一方で、自身の行いに信念がある人間としても描いている。これに対し、ミカエルも、「悪役を演じる為には、自分自身の深 淵を覗き込まねばならないものです」と信念を語っている。

ロケセットについて

野外シーンの多くはルクセンブルグ郊外で撮影された。一方、コロニア・ディグニダ地下に張り巡らされたトンネルシーンは、 首都ベルリンにある広大な歴史的遺構である高射砲塔で撮影された。水が溢れたトンネルに潜るシーンは、ベルリンのティー アガルデンにある室内プールを1週間貸切っての撮影となった。かつてコロニア・ディグニダとして知られたビジャ・バビエラ での撮影は、人道的な観点から許されなかった。また、1973年のクーデターの際、検挙された捕虜の拘留施設となったサンティ アゴのエスタディオ・ナシオナル・デ・チリなど、チリ市内にある関連場所も、今や多くは近代化され、残念ながら撮影すること が出来なかった。ロケハンを行い、クーデターなどの路上での闘争シーンは、アルゼンチンのブエノス・アイレススの中心地で撮 「影を敢行。また、コロニア・ディグニダのホール、寄宿舎、病院を含む全ての室内シーン、及び、ドイツ大使館の室内シーンは、 ミュンヘン付近で撮影された。「各地でロケ撮影をすることは、キャストとスタッフ全員にとってチャレンジングでしたが、1つ1 つのシーンがやがて1本の素晴らしい映画になるのだと思うと、勇気づけられました。」と、ハーマンは話す。「さらに大変だった ことは、私達には限られた撮影日数しかないということでした。ふり返ると、いかに、本作に関わる各々が精一杯、本当に素晴ら しい仕事をしてくれていたかを感じます」とガレンベルガー監督は撮影を振り返った。

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